2016-06-19 ~≪寂光院≫~ 街歩き(京都) #京都府 前項の続きです! 京都大原 ~≪寂光院≫~ ~≪寂光院≫~は 聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために 建立された天台宗の尼寺で 初代住職は御乳人であった玉照姫。 1400年もの歴史あるお寺が 平成12年に放火による火災に遭い、 聖徳太子発願以来というべき 未曽有の受難を乗り越え、再興されました。 現在では復元された本尊が 本堂に安置されています。 文治元年(1185)年9月に、 平清盛の息女で高倉天皇の皇后 安徳天皇の御母である「建礼門院」がお入りになり 源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と 我が子安徳天皇の菩提を弔いつつ、 終生をこの地で過ごされたということです。 ≪千年のひめ小松≫も 火災の際枯死してしまったとか? あまりにも有名な平家物語の冒頭です。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。 奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂には滅びぬ、 偏に風の前の塵に同じ。 ~≪諸行無常の鐘≫~ 沙羅双樹の花の色・・・ 「沙羅双樹」というのは、 幹が双幹の沙羅の木ということです。 沙羅とはナツツバキの木と言われてます。 これは白くて気品のある花を咲かせますが、 朝に咲いて、夕べに散る儚さです。 運よくこの時期 花を見ることが出来ました。 平成12年5月に放火とは? 今から16年前ですね。 犯人はまだ分からないそうです。 罰当たりな人間もいたものですね。 一体どこで何をしているやら? 桃山時代に建立された三間四面の杮葺き本堂は ひとたまりもなく灰燼に帰したのですよ。 本堂に上がって 地蔵菩薩像のすぐ近くまで行き お参りすることが出来ました。 これは豊臣家の家紋ですね。 江戸時代には、豊臣秀頼や徳川家康が 再興に手を尽くしたそうです。 都から遠く離れた山深いこの地で 一歩も外に出ることもなく 29歳の若さで亡くなった「建礼門院」 思いを馳せると 当時の余韻を残す幽玄で美しいこの庭も もの寂しく哀れにも見えてきます。 (@_@)