~≪蛤御門(はまぐりごもん)の弾傷痕≫~
~≪蛤御門(はまぐりごもん)≫~
京都御所一般公開の際、
観てみたかったところは
幕末の天下騒乱の際、歴史を動かす激戦の舞台となった
「蛤御門」です。
春の一般公開の時期には、
この門からタクシーやバスが出入りしていました。
御所の内側から、
「蛤御門」を見せてもらうのは
滅多にない機会なので・・・
結構な数の
弾傷痕が見つかりましたよ。
この門を守っていたのが会津藩でした。
両陣営、超至近距離での銃撃戦だったということが
この蛤御門を見れば頷けることです。
この蛤御門を見れば頷けることです。
かなりの弾丸の痕ですよね。
152年前
この場所で激しい闘いがあった!
ということの証拠です。
適度の摩耗が、年月を感じさせます。
細長い傷は刀?槍かしら?
生々しいですね。
江戸時代の大火の際に
いつもは閉ざされていた門が
初めて開かれたため
「焼けて口開く蛤」の意味で
「蛤御門」と呼ばれるようになったそうです。
~≪御所の地図≫~
長州藩も地図を見て検討しながら、
襲撃計画を練りに練ったのでしょうか?
確かにこの門からは
正面「建礼門」までは最短コースですね。
~≪清水家の椋≫~
この辺りで来島又兵衛が討ち死にしたそうです。
蛤御門の闘いで長州藩は大敗し、
来島又兵衛をはじめとして
戦死者は265名
歴史に触れ始めるとどんどん長くなるので、
まあ~この辺で・・・
(●^o^●)